今日は資産配分について書こうかと思う。
「現金比率は〇%にするべきか?」とか、そういう話だ。
とは言っても、ごく個人的な話であり、アカデミックな最適配分のようなことではない。
あくまで、一個人として「経験上、こうしていると居心地がいい」という所感だ。
最初から明確に資産配分を決めていたわけではない。
その時々で「こうしてみようかな」レベルのアイデアは試してきたが、実際に売買をする中で自分の感情と折り合いを付けながら、「居心地の良いポジション像」みたいなものがだんだんと固まってきた、、というのが実態だ。
私の場合は、相場に応じてリスク資産と待機資金(現金)の比率を変えている。
言葉にすると当たり前過ぎるのだが、このくらいシンプルな方が自分が何をやっているかがわかりやすくてよい。
通常はリスク資産50:待機資金50にしている。
リスク資産は長期ロングで、待機資金は短中期トレード用だ。
長期ロングの方は、ほぼインデックスの積立が占めている。つみたてNISA、企業型DC、SBI証券の投信&ETFの積立などが主体だ。
あとは、この中に仮想通貨も含まれている。BTCとETHが半分ずつくらい。あとちょっと、先日の抽選で当たったPLTが含まれている。
資産全体に占める比率としては、10%ちょっとくらい。ボラが激しいので、この比率も日によってガンガン変わるのだが。。
待機資金は、トレードのチャンスが来たら短中期トレードに突っ込む。
どのくらい突っ込むかは、トレードの確度による。
確度が高いと信じられるチャンスがあれば、結果的にリスク資産比率が高まる。
なので、リスク資産比率が50-90%で行ったり来たりしている。
この「自信があるときにリスクをとる」と言うのがミソで、これが自分にとっては自然な姿だと感じる。
あらかじめ配分を決めてしまうと、「今はリスクとりたくないんだが」と言うときまでリスク資産の比率を保たなければならなくなる。
これが、どうにも自分にとっては居心地がよくない。「因果関係が逆じゃないか?」と感じてしまうのだ。
なので、自信の程によって、リスク資産の比率が伸び縮みする今のスタイルが、自分の性根に合っていると感じている。
短中期は主に深押し時に拾うトレードが主体である。平均回帰戦略や、中期のスイングトレードなどだ。
これらは一時的な相場の軟調時にリスクを取る形になるので、結果的に長期・短中期で資産の増減が逆相関になってくれることもある。
平均回帰戦略については、以下の書籍が個人的に開眼するきっかけになった。
また、長期・短期で異なるシステムを組み合わせる発想は、以下が参考になる。
今の形であれば、どの相場でも納得のいくポジショニングになっている。
相場が堅調な時は、長期がじわじわ殖えるのを眺めていればいい。
足許であれば仮想通貨は「寝てたらお金が増えてた(ただし夢落ちのパターンあり)」状態だし、インデックスも緩やかな上昇が続いている。
増加率で見るとそこまで華やかなものではないが、増加額の絶対値としては十分なものだと感じている。
で、最低でも半分くらいリスク資産になっていれば、FOMOを感じない。
あんまりリスク資産の比率を減らし過ぎちゃうと、余計なトレードが増えるので結果的にパフォーマンスが下がってしまう。
こうしたことを防ぐためにも、適度に自分に「満足感」を与えてやらなければならない。自分のご機嫌は自分でとりましょう、というやつだ。
この辺りの「居心地の良さ」は、実践の中で見出されるものなのだと思う。人によって、どのあたりで満足するかが違いますしね。
逆に、相場が軟調でトレードのチャンスが増える時は、余裕資金を柔軟に使える。
私の場合、余裕資金(実弾)がないとストレスになる。
長期ロングに入れ過ぎても、短中期トレード用の資金が無くてストレスになるので、今くらいの比率に落ち着いたのだと思う。
以下はおまけで、「短中期トレード枠は必要なのか?」について考えてみたい。
人によっては、すべて長期ロング枠でもいいと思う。
それこそ、全部インデックスに突っ込んでいた方が、労力対比のコストパフォーマンスは高いと思う。
一方で、私の場合は短中期トレードの枠は必要だ。
主な理由は、「単純に楽しいからやりたい」というのと、「自分の失敗事例・アンチパターンの収集のため」だ。
以前の記事でも書いたが、人は習慣に依存している割には、それ自体に気づかない。
大きな失敗を避けるためにも、まずは自分の思考の癖を把握して、どんな失敗をやらかしやすいのかを知ることが重要だと思っている。
そのためには実践を通して小さく失敗を重ねて「失敗のサンプル」的なものを集めていくのが良い。
これはエジソンが言うところの「失敗ではない、うまくいかない1万通りの方法を発見したのだ」的なやつにも通じると思う。
エジソンの意図は知らんが、「失敗は独立した事象ではなく、うまくいく方法と有機的に結びついている」的なニュアンスが含まれている(と感じる)あたりがミソだ。
「こういう失敗パターンがよくある」「この失敗は、先日の失敗と繋がっている」的なひらめきが重なっていくと、自分の中で「失敗観」「失敗の肌感」的なものが出来てくる。
これが臨界点を超えると、「直感」が働くようになる。
アンチパターンに足を掛けると、脳内アラートが鳴るようになるのだ。
成功は「失敗を慎重に避けて進めた結果」みたいな側面があると思うので、私にとって「失敗できる枠」と言うのは、ある種の必要悪なのだ。
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