資産形成の灯台

様々な投資戦略の学習・実践中。最も尊敬する投資家はハワード・マークスです。

社会主義者「ですら」ない岸田首相と、私たちはどう生きるか

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今日は岸田首相について、思うところを書こうと思う。

岸田さん個人を批判する意図はない。あくまで、自分たちの国のリーダーについて考察することで、自分たちが置かれた状況を整理し、資産形成の観点からどう行動するべきかを考えるためである。

 

なお、私自身は岸田首相本人や政治について特に詳しいわけではない。表面的であったり、未確認の事象も含めて書いている点はご容赦いただきたい。

 

 

問題意識:なぜこうした人物が我が国の首相なのか

まずはシンプルに、次のような印象を持っている。

  • 政治力に長けた調整型のリーダーである
  • 「どうあるべきか」より「どう見られるか」を重視する
  • 身内以外の集団に対する共感性、センスに乏しい
  • 経済に疎い

 

それぞれどういう意味かは、後述する。

ここでは問題意識として、次のことを述べたい。

  • なぜ岸田首相自身が、こうした人物なのか?
  • なぜ、こうした人物が首相になれるのか?
  • こうした状況下で、自分たちにできることはなにか?

岸田首相自身に対する考察

岸田首相について、詳しくない。Wikipedia見たくらいである。

認識しているのは、社会人経験は5年程度であり、それ以降は政治の世界にいるということぐらいである。

 

それでも敢えて、岸田首相に対する私の認識・理解を述べると、こうだ。

「外の世界」に対する共感性が低い

1つ目は、岸田首相は、極めて均質性の高い集団の中で生きてきた方で、その集団の論理に適応してきたのではないか、、とういことだ。

どんな集団化と言えば、要は「政治家のオッサン」である。

 

私は日本の政治について詳しくないが、大まかな認識としては「年齢層高めの男性」という属性に偏った集団によって構成されていると理解している。

近年、多様化は進んでいるものとは思うが、上記以外の属性の人物はまだまだ主流ではない。

たまに政治家のオッサンが自分達と異なる属性を持つ集団(女性など)に対する失言をするが、彼らは明確に自分達とそれ以外、「内と外」を分けた世界で生きている証左ではないかと考えている。

 

斯様に、同質性の高い集団の中で生きていると、自分たちの認識が外の集団にどう捉えられるかを見誤る。

 

先日、岸田首相が夫婦の食事風景をTwitterに挙げたことで炎上した。

あれも当然ながら、自身のイメージアップになると思ったからやってるのだろうが、端的に言って「センスない」と感じる。

夫婦の在り方はそれぞれなのでいいのだが、「THE 昭和」というか、ダイバーシティの正反対のような構図を宣伝として発信することにセンスの無さを感じる。

繰り返すが、夫婦の在り方自体が問題だといっているのではない。それを宣伝効果を望めるものとして発信していることに問題があると思っているのだ。

 

岸田首相の中での「これは受けるだろう」と言う感覚と、受け手側の温度差のギャップを強く感じる。

一方で、身内の間ではあれは「受ける」のではないか?とも思う。

おそらく、岸田首相が生きてこられた世界の中では、あれは「夫を支える良妻賢母の内助の功」という文脈で、称賛されるものなのだろう。

ご本人からしたら、世間から否定的な反応が返ってきたのは予想外で驚きだったのではないか。

本人的には「太陽って東から昇りますよね」くらいに当たり前に考えていたことが、「いや東から昇るとかけしからん」くらいの反応が返ってきた感覚なんじゃないかしら。

 

ギャップがあること自体はいいのだが、これに無自覚であると本件のような摩擦はこれからも続く気がする。

何というか、上記の認識も相まって「初めて開かれた世界に自分の価値観を開示する状況に立たされた人物」という気がしてならないのだ。

 

斯様に、キャリアと実際の行動に鑑みると、「同質性の高い集団の中で生きてこられたのだろうな」と感じるし、「外の集団とのセンスのギャップが大きい&無自覚なのだろうな」と推察する次第だ。

 

なお、一口に共感性やセンスと言っても、色々ある。

共感性で言えば、認知的共感と情緒的共感に分かれる。

私の大雑把な理解でいれば、認知的共感は論理的な思考によって、「相手の立場に立って」考えることで、相手の感じていることを想像する・察する能力である。

岸田首相について言えば、自分と属性が近い人たちに対するこうした能力は高いのだと思う。首相になるくらいだし、そのあたりの機微はとてもお上手なのだろう。

この辺りの話は、次の話題にもつながる。

 

一方で、自分が生きてきた世界の外の人たちに対する共感性は相当に低いのではないかという気がする。

調整型のリーダーである

これまた勝手な想像だが、実務能力よりも政治力・調整力で首相まで昇りつめた方なんだろうな、という印象を受ける。

 

この後に書くが、経済政策については「これを出してくるのか…(困惑)」というものが度々ある。新しい資本主義がその代表格である。

その「これで来るのか」というレベルが、これまた経済に不慣れな人物なんじゃないか感を受けるのだ。

 

他人に対して影響力を発揮する場合、いくつかのパターンがあると理解している。

例えば、「あの人は実務能力に優れるから、先頭に立って指揮を執ってもらおう」とか、「公明正大な人物なので、付いていこう」とか、そんなのだ。

 

岸田首相の場合は、一言で言えば「関係構築力」ではないか。

政治力とか、調整力とか、人間関係とか言ってもいいかもしれない。

実務能力よりも、「いかに敵を作らないか」「いかに貸し借りの関係を作っていくか」によって、周りからの支持を得てきたのではないか。

 

お歴々と仲良く写っている写真をネットで見たことがあるが、ああいう「出過ぎず、目上の者を立てる」「愛いやつ、気の利くやつ」というのが、岸田首相の能力なのだろう。

周りを見ながら、勝ち馬に乗ってふと手を上げる。こうした下地があるからこそ、ここぞというときに首相の座まで昇りつめることまでできたのだろう。

 

なお、こうした調整型のリーダー自体は、別に悪いものではない。組織の潤滑剤として、必要な役割だと思う。むしろ、周りの幹部やスタッフが実務能力において優秀ならば、彼ら/彼女らの能力を活かす采配だって可能だろう。

 

怖いのは、本来は実務能力、リアリズムで進めていく場面までもが、なぁなぁの調整で進んでいくことだ。

 

組織は、馴れ合い、かばい合いで腐っていく。

特にこの調整型のリーダーが幅を利かせる組織というのは、その傾向が強いのではないかと考えている。

物事を「本来的にどうあるべきか」ではなく、「誰が言ったか」で考えるようになる。

べき論ではなく、「お世話になった先輩の顔」「裏切れないあの人の顔」が頭にちらつくようになる。

経済合理性ではなく、個人的な人間関係・利害関係で物事が決まるようになっていく。

 

調整型のリーダーは、貸し借りの関係を構築していく中で、こうした「裏切れない」ネットワークを作っていく。周りには似たような志向の人物が集まり、関係性に基づく意思決定様式が拡大再生産されていく。

 

特に、政治家という職業は、生業自体に「貸し借り」の関係性が内包されている。政治とは、ある意味でその本質は「分配」と言えるのではないか。

税金を始めとした国のリソースを、どのように、どこへ分配するか。これを決めるのが政治家である。つまり、「貸し借り」そのものが業務であり、調整型のリーダーが生まれやすい土壌があるのだと思う。

 

冒頭の話に戻るが、私にはとても岸田首相が、実務能力を評価されて首相になられた方には思えない(特に経済方面については)。

そして、ご自身の「聞く力」アピールなどを見るに、おそらく調整型のリーダーとしてやってきた方なのだろうな、と感じるのだ。

 

なお、こうした傾向は何も岸田首相だけに限ったは話ではない。

『菊と刀』で日本が「恥の文化」と形容されているように、私たちは他人との関係性の中で、自己を認識する傾向がある。

ファクトベースの議論よりも、「他人からどう見られているか」を重視する思考が優先するのは政界だけではないと思う。(…と、弊社の社内事情を思い浮かべながら書いている)

そんな岸田首相から出てきた『新しい資本主義』

以上のように、「外の世界に対する共感性が低く」、「実務能力よりも調整力に秀でた」岸田首相が前面に打ち出してきたのが「新しい資本主義」だった。

ここでは詳細には触れない。ネットで検索すれば、主に金融セクターからの正気を疑う声がわんさか出てくるだろう。

 

ここで述べたいのは、この「新しい資本主義」がこれまで述べてきた岸田首相の特徴を象徴しているのではないか、ということだ。

 

まず、言いたいのは、おそらく岸田首相は社会主義者「ですら」ないということだ。

たまに岸田首相の政策は社会主義的だとの意見を目にするが、あくまで政策の見た目が社会主義「的」であるだけで、ご当人にそうしたイデオロギーはないと思われる。

 

岸田首相が「新しい云々」言い出したのは、

  • 前政権と違う新しいカラーを打ち出す必要があり、
  • 分配を強調する点で「大衆」の耳ざわりが良く、
    (この時点で国民を舐めている)
  • 「大きな政府」を志向する点で票田にばらまく予算確保にも都合がいい、
    (財政拡大を支持する理論はいつでも政治家の味方だ)
  • そんな都合の良い既成のイデオロギーを耳打ちするブレーンがいた
    (公益資本主義を掲げておられるナントカ氏だ)

 

…という条件がそろったからだと思っている。

岸田首相の基本的な政策メニュー自体は、これまでの政権がやってきたことと大きく変わらない。

その意味で、おそらく岸田首相自身は独自のポリシーをお持ちでないと想像している。

 

そんな中、既成の思想で国民受けが良さそうな(と、ご本人は考えた)ものを助言されたので、意気揚々で中核思想として打ち出した…と言うのが実態ではないかと思っている。

 

そして、こういうキワモノに与してしまうあたり、岸田首相のセンスの無さと実務能力の欠如が象徴されているように思う。

 

岸田首相が演説で「日本は新自由主義の下、市場原理に過度に依存云々」的なことを仰っていたが、まずこの出だしで強烈な違和感を持つ方も多いはずだ。

中央銀行が自国のETF買ってる国のどこで市場原理への過度な依存があったのか、さっぱりわからない。米国と比較すれば、既に日本は十分すぎるほどに「社会主義」的な国家だろう。

 

首相は首相で、思想上の建前を言い切る必要があったのかもしれないが、それでも「こんなことを言い出したら、正気を疑われる」という思考が働かなかったのかと思う。

仮に思想として中核に据えるとしても、もう少し現状認識の表現などはマイルドにできなかったのかと思う。国民受けを気にするなら、もっと突っ込みどころは埋めて然るべきだろう。(単に、それほど国民を舐めていただけなのかもしれないが)

 

この辺りの感度の無さと言うか、にじみ出る「学芸会でセリフを読んでいる感」が、やはり借り物のイデオロギーを口にされているだけなのだろうな、と言う印象を受ける。

このあたり、もう少し実務や経済に対する見識があれば、「さすがにこれはないやろ」という判断があったのではないか。

 

また、先ほども書いたとおり、調整型のリーダーの周りには似たような思考の人間が集まりやすいので、こうしたおかしさを指摘してくれるような人もいなかったのではないか。または、いたとしても、これ以外に自身が国民(外の世界)に語れる持ち球が無かったのかもしれない。

 

そんなわけで、ご自身のセンスと実務能力の欠如により、世間の反応を読み切れなかったのが「新しい資本主義」の経緯なのかなと思うのだ。

ご本人的には、ここまで(一部セクターを中心に)不評なのは意外だったのではないか。

岸田首相の誕生は構造的要因

とは言え、掛かる状況は岸田首相ご自身にすべての原因があるわけではないと考えている。

そもそも、首相としての資質がない人物が、首相になれてしまう制度・システム自体に問題があると思う。

いわば、首相になるための能力と、首相になった後に求められる能力が一致しないのだ。

(なんか学校と実社会の話みたいだぁ。。)

 

我が国の首相の選定は、間接選挙制によって行われる。

すなわち、国会議員と党員の投票によって、首相が決まる。先ほども述べたとおり、政界は貸し借りの世界である(と、私は勝手に思っている)。

当然、誰に票を入れるかにおいても、「首相として必要な能力を備えているか」よりも、「あの人にお世話になったから」「(票を入れないことで)裏切れないから」といった動機に基づく投票行動の方が多いのではないか。

 

簡単にえば、派閥の論理である。

 

こうした環境下で各人が生き残ろうとすれば、岸田首相のような調整型の能力に特化するのは「個人レベルでは」合理的な行動である。

リスクを取ってチャレンジするよりも、他所に敵を作らないことに専念する。仲間内の関係を良好に保ちつつ、機を見て手を挙げる、、これが合理的な戦略である。

 

一方で、国家単位で見た場合、ご覧のありさまになる。いわゆる、合成の誤謬というやつだろう。

 

岸田首相は、個人として環境に適応したに過ぎない。

その結果、ご自身のスキルと合致しない職務に就くことになられた。なったからには責任はあるが、こうした状況に至った原因は別だ。

これは制度設計側の問題も相応に大きいように思える。

 

また、それと同時に、制度設計が変わらない限りは、今後も類似の事象は起きるものと考えらえる。

個人ができること

文句ばかり垂れていてもしようがないので、個人にできることは何かを考える。

正直、「現状をパッと変えられるような都合のいいことは、ないな」というのが所感である。

 

政治との関わりで言えば、舐めた政策で人気取りが出来ると思われないように、確り学んで知識を付けることだろう。投票に行くことは言うまでもない。いずれも、組織的な努力がないと影響力は小さい(というか、ほとんどない)としても、やらない理由にはならない。

 

あとは、自助、自助、自助の3拍子だろう。

ここでやっと、資産形成である。自分以外を変えることは難しくとも、自分は変えられる。

国のリーダーがアレでも、自分で生きていけるだけの金をさっさと用意する方が(相対的に)難易度が低い。

そのための一助になるように、本ブログもぐだぐだ続けているのだ。

参考文献

『衰退の法則』小城武彦

調整型リーダー云々の元ネタ。純粋に組織論としてとっても面白いのでオススメ。

 

 

 

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