最近、TwitterではSPYDに関する是非や、
特定の投資手法に関する議論が盛り上がっていますね。
この手の話題は尽きませんね。
インデックス投資 vs 高配当株投資など、
永遠のテーマと思われるようなものがゴロゴロ転がっている印象を受けます。
そんな中、私個人のモットーは、
「人生いろいろ、投資手法も人それぞれ」です。
今日はこのことについて掘り下げたいと思います。
本日の目次です。
結論:万人にとって「ベスト」な投資手法はあり得ない
先に結論から述べましょう。
「万人にとって「ベスト」な投資手法はあり得ない」
次のような論拠を背景としております。
- 「期待リターンを実現」するには、株式を持ち続けなければならない。
- 人生には、人を株式の売却に追い込む「試練」が付きもの。
- 「試練」に耐えるには、「愛」が必要。
- 「愛」のカタチは人それぞれ。
- したがって、期待リターンを実現可能な投資手法も人それぞれ。
だいぶ、胡散臭くなってきましたね。
それぞれのキーワードについて掘り下げていきます。
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「期待リターンを実現」ってなに?
期待リターンとは、
「株式は利回り6%~7%」みたいなもののことです。
大体10~15年程度のスパンを前提としたものですね。
つまり、あくまで長期的に保有し続けた場合の数字です。
ですから、途中で売ってしまった場合、
上振れするか、下振れするということです。
こうした文脈の場合、「下振れするけれども売却を余儀なくされる」というパターンが太宗を占めると思いますが、、
「試練」ってなに?
株式を売る2つのパターン
次に試練とは何かについてご説明します。
試練とは一言で言うと、
「株式を売ることになるイベント」のことです。
大きく2パターンあると思ってまして、
- お金が必要になるパターン
- 「気が変わった」というパターン
こういったものではないでしょうか。
お金が必要になるパターンとしては、
- 減給された
- リストラされた
- 自分・家族が病気になった
- 子供が私立受験をする
- マイホームが欲しくなった
- 車が欲しくなった
こうした具体例が考えられます。
一方、「気が変わった」については、
- その銘柄に飽きた
- 他の銘柄を好きになった
- とにかく何か売り買いしたい
こんなところではないかと思います。
「気が変わった」は身もふたもないですね。。
ただ、皆さんの生活で10年~15年前と変わらないものって、
どれくらい残っているでしょうか?
少なくとも私自身は飽き性ですので、
「変わったもの」の方が圧倒的に多いと思います。
株式投資とエルゴード性と「生き残ること」
実はここまでの話の元ネタは、
ブラック・スワン[上]―不確実性とリスクの本質で有名なタレブが、
著書で述べていた「エルゴード性」という概念が元ネタです。
エルゴード性とは、
「アンサンブル平均と時間平均が一致する性質」を指します。
何のことかさっぱり分かりませんね。
ここでは、言葉の意味に深入りすることはしません。
(私自身の理解も怪しいですしね、、)
乱暴にタレブの言いたいことを要約を試みますと、
「期待リターン≒長期平均」を期待していいのは、長期間生き残れる奴だけだ
言うことだと思います。
そもそも経済事象をエルゴード性の文脈で語るというのがナンセンスだという主張もあろうかと思いますが、そこは一旦お目こぼしを、、
「期待リターンが長期的にはこの数字に収斂するということ」と、
「自分がその銘柄を長期間保有できるかどうかということ」は、
別だということですね。
これ、結構厳しいことを言ってますよね。
先ほど、私が申し上げたような「時の試練」というのは、
- ある日突然
- 不条理に
- 何の前触れもなく
- 不可避的に
訪れることがあるのですから。
「期待リターン〇%の投資をしています」と言いたいなら、
こうした状況下でも銘柄を手放さず、投資家として「生き残る」ことが必要、、
というわけです。
昨今のコロナ・ショックも言わずもがなでしょう。
狼狽売りは言わずもがな、仮に経済的に困窮するようなことになっても、
売ってしまっては期待リターンは実現できなくなるのです。
ここでふと思うわけです。
こうした試練に耐え得るには、
つまり、一度「保有し続けるぞ」と決めた銘柄を持ち続けるには、
いったい何が必要なのだろうかと。
それは、2つあると考えます。
1つは、「お金」、、つまり生活防衛資金です。
生活防衛資金があれば、想定外の支出が発生しても、
株式を換金する事態を回避することができるかもしれません。
「愛」ってなんだよ
愛とは残差である
もう1つは愛です。
はい。何言ってるかわからないですね。
ここで一つ、言葉を紹介したいと思います。
「愛とは残差である」
これは、ノーベル賞経済学者のリチャード・セイラ-氏の言葉です。
「残差ってなんだよ」と申しますと、
回帰分析における予測値・実績値の差です。
ここから暫くややこしいので、「よーわからん」という方は読み飛ばしてください。
もう少し噛み砕いてみますと、
統計的になにかを予測したときにの予測値・実績値の誤差を指します。
例えば、ある店の単月売上を予測するとします。
売上を予測するためのパラメーターとして、
①季節、②天気、③曜日を使うモデルを作ったとします。
このモデルで予測値と実績値を比較したところ、
①季節要因で50%、②天気要因で20%、③曜日要因で20%、
実績値を説明できているとします。
そして、残りの「説明できない10%」が残差です。
これを一般化して言いますと、
- なにかを説明できる理由をリストアップしていく
- それでも説明しきれないものが残る
- それが、愛だ
ということです。
さらに有体に言いますと、
「顔がいいとか性格がいいとかお金を持っているとか、
人を好きになるのは「わかりやすい理由」だけじゃないのよ」
ということです。
自分で言っていてこっぱずかしくなってきます。
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でもこれ、結構バカにできないのではないかと思っています。
と言いますのも、投資においても「自分がその銘柄を買った理由」を信じ続けるためには、やはりそれ以上の「何か」が必要だからです。
私のような米国株投資家は、米国の成長性に期待をしています。
ただそれは絶対不変のものではありません。
では、なぜ私たちはそれを信じているのか。
もちろん第一には合理的な理由があるからでしょう。
しかし、その合理的な理由が成立すると信じているのはなぜでしょうか。
これを信じさせるもの、、それが残差、「愛」なのだと私は思います。
「愛」という言葉がしっくりこなければ、
期待感、ワクワク感、ドキドキ感、、なんでもいいです。
私たちがなにかの意思決定・決断をするとき、
最後の一押しをするものが確かに存在してるのではないかと思います。
愛とは握力である
もう一つ言葉をご紹介しましょう。
「愛とは握力である」
これは私の言葉です。はい。
仮に先述のような試練を与えられても、愛さえあれば銘柄を握り続けられる。
時の試練に耐え、長期の期待リターンを手にすることができるのです。
ただし、購入当初に見込んでいた前提が完全に崩れたと思われる時は、
売却をしなければなりません。
ここは理性的にやらないといけませんでしょう。
実際は「どうやって前提が完全に崩れたと判断するのか?」といった問題もあり、
言うほど簡単ではないのですが。。
最後に:人の数だけ「ベストな投資手法」があっていい
以上のように考えますと、
そもそも期待リターンを実現可能な銘柄は人によって異なる、、
このように言えるのではないでしょうか。
なぜなら、愛のカタチは人それぞれだからです。
(そろそろ気恥ずかしさが限界突破しそうです)
言い換えますと、
- 何に興味関心を持てるか、
- 何を信じられるかは
人によって異なるということです。当たり前ですが。
その人自身の趣味嗜好や目的、、成長性を求めるのか、インカムを求めるのか
と言ったことや、
よりウェットな感情的なもの、、銘柄に対する思い入れや記憶、エピソード、言葉にできない期待感、、そういったものに左右されるでしょう。
こうした支えがないものに投資をしても、
時の試練に負けて途中で売却をしてしまうかもしれません。
であれば、
具体的な個人を離れて「ベストパフォーマンス」を考える前に、「そもそも自分は何を信じられるのか」「目の前のこの人は、何を信じる性質なのか」こうした疑問から出発したほうが建設的ではないか、、このように思うわけです。
仮にAさんがベストな投資効率を発揮できる投資手法があっても、
それがそのままBさんにも当て嵌まるとは限らないのです。
逆に、一見すると不合理な投資手法に見えても、
ある人にとっては「最も効率的な」投資手法であることも考えられます。
ですので、最後に繰り返しになりますが、
「万人にとってベストな投資手法はありえない」
これが私が申し上げたいことです。
(もちろん、「多くの人に受け入れられやすい投資手法」みないな考え方はあると思いますけどね)
だからこそ、お互いが選択した投資手法や各人が抱えるバックグラウンド、
そういったものを尊重し合い、健全な議論をしていきたい、、
そのように思う今日この頃でございます。
次回は、私自身がSPYDを愛する理由についてお伝えしようかなぁ、
と思っております。それではまた。
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