資産形成の灯台

投資・投機との関わり方に関する思索を垂れ流すブログ。

「変化していく人々」に寄り添えないメディア

本日は、最近驚いたことについて書いてみたい。某大手経済新聞社がやっているYouTubeのチャンネルを見ていた。そこでは、解説委員とゲストのアナリストの2人が開いた資産運用セミナーのエピソードについて語られていた。

 

そのセミナーでは、参加者から質問を受け付けており、その中に以下のような質問があった。

 

「老後に資金が積み上がった時、どのように取り崩せば良いですか?」

 

その解説委員が曰く、最初はその質問の意味がわからなかった。資金が積み上がったなら勝手に取り崩せば良いではないかと思った。その場では適当な返事をして、セミナーが終わった後に、これがどういった意味だったかに気づいたらしい。

 

質問者はS&P 500などの投資信託を投資対象として想定しており、これらの投資信託は配当が再投資されるため、自分で取り崩しをしなければいけないのだ。

 

この解説員の頭の中では、投資商品とは配当があるものであり、「自分で取り崩す」という発想自体が出てこなかったらしい。

その後は、その解説委員が、無配当(再投資型)の投資商品だと自分で取り崩さなければいけないから、配当のある投資商品を買えばいい、みたいなことをスライドを使って滔々と解説をしていた。

 

私も最初、「なぜ解説委員がこの質問の意味がわからなかったのか」が、わからなかった。なぜならば、今の時代、積立投資の対象といえば再投資型の投資信託(S&P 500やオルカンなど)であり、そうした認識を前提として持っていないということを私自身が想定できなかったからだ。

 

さらに言えば、老後に積み立てた投資信託をどのように取り崩すかというのは極めてポピュラーな悩みだとも認識していた。よく聞く4%ルールなどはその典型だし、有名なファイナンシャルプランナーの方々もこの話題ひとつで本を1冊書いていたりする。資産運用に関わっているものであれば、こうしたことは自然に目や耳に入ってくるものだと思っていたので、この解説委員の方が「新大陸を発見」したかのような語り口には度肝を抜かれてしまった。

 

このエピソード1つを取って一般化をするのは危険だが、あえて私が感じたことを言語化してみようと思う。

 

1つは、時代の流れに「プロ」や「専門家」と呼ばれる人々たちがついていけていないのではないか、現実の課題が生まれている現場から彼らが遊離してしまっているのではないか、ということだ。

 

長期の時間軸で分散投資をするということは、この数年でほぼ常識のように定着した。さらに、そうした投資戦略をとる以上は、先ほど述べたような取り崩しの戦略も投資家の関心の対象となる。家計の資産形成において、当事者・主役はあくまで個人投資家であり、メディアの人たちが情報を届ける相手も同一人物である。

 

であるならば、情報の発信者は情報の受け手に寄り添い、彼らの関心事に沿った情報を届けるべきではないか。少なくとも情報の受け手たる個人投資家は、専門家が自分たちの関心事に対して応えてくれることを期待している。その発露が先ほどのような質問であろうと思う。

これに対して専門家が彼らに寄り添うことをせず、旧来の自分たちの仕事のやり方で「専門知識」の「解説」をしているとしたら、果たして本当に情報の受け手に価値があるものを届けられているのだろうか。表層的にパラダイムシフトを知識として知るだけであり、その渦中にある当事者たちが本当に欲している情報を届けられているのだろうか。

 

この手の「どこを向いて仕事をしているか」ということは、普遍性のある話だと思う。本来自分たちが向き合うべき価値を届けるべき相手には興味がなく、自分たちの閉ざされた世界でしか仕事をしない。従来のパラダイムの中で惰性で仕事を続けるばかりであり、自分が対価を得ている相手が本来的に誰なのか、その人たちが何を欲しているのかを考えようとしない。

これは自戒も込めてだが、そのような仕事は対価を得るに値するのだろうか。情報発信により付加価値が生まれるから対価を得られる、というのが道理のはずだ。

 

もしかしたら、従来はそうした解説でも良かったのかもしれない。明日のマーケットがどうなるかの解説を顧客も求めており、短期的な利益を求める投資しかなかった時代であるならば、そうした仕事の仕方で成立していたのだろう。

しかし、今はそれも少しずつ変わってきている。個人投資家の質が変わり、より腰を据えた長期の目線で投資をする人が増えている。自然と、近視眼的な目線に基づいた情報よりも、より堅実で実務的な情報を求めるようになっている。もしくは、これまでのような情報は「過剰」なものとして、不要になりつつある。

 

情報の受け手が何を欲しているかを考えなければ、プロとして対価を得る情報の発信者にはなりえないのではないだろうか。

 

最近は大手の新聞社・テレビ局等のメディアから、若手が独立をしていく例もよく目にする。曰く、情報の受け手の変化に対応せず、旧来のやり方の延長線上で仕事を続けているベテランや上層部に嫌気がさしているらしい。今回の話とも符合するように思う。

 

もう一つ思ったことは、そうしたメディア、情報の発信者の皆さんも金融教育を受けられるようにすると良いのではないか、ということだ。これは別に、彼ら、複利がわからんだろうとかそういったことを言ってるのではない。

そうではなくて、彼らが情報を届ける相手がどのような価値観に基づいて行動しているのかを知る機会になるということだ。当たり前だが、彼らの世代は今で言う金融教育とか投資教育と呼ばれるものを受けていない。そうした中、彼らは彼らで生きた時代の中で、原体験を得ている。その多くはバブルからその崩壊、その後に続く長期の日本株の低迷の時代である。だからこそ彼らには、長期で投資をして報われるとか、積み上げた資産を取り崩すといったような発想がない。

 

だからこそ、そうした世界とは異なる価値観・物の見方に基づいて行われる教育の中身を知ることが、情報の受け手にとって何が付加価値になるのかを知るヒントになると思うのである。

どっかの論文でも読んだが、金融リテラシーは単に知識を摂取することではない。知識に対する捉え方も含むものであり、それは畢竟、自分自身の価値観や、それに基づく世界観(認知のあり方)を含むものだと思う。情報の受け手と同じものを共有することで、価値観や世界観も共有するのだ。

 

…ということを、「やべー解説してるなぁ。相方のアナウンサーも引いてるやんけ」と思いながら、つらつら考えた次第である。

 

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