資産形成の灯台

投資・投機との関わり方に関する思索を垂れ流すブログ。

AIに奪われる仕事と、運の話

新しい資本主義実現会議の資料で、以下のようなスライドがあった。今日はこれに絡めて、思っていることを書いてみたい。

 

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/kaigi/dai24/shiryou7.pdf

 

 

ホワイトカラーのジュニア層の仕事はすでに奪われつつある

こちらの資料では、今後ますます労働供給が絞られていき、人手不足が常態化・深刻化するということが書かれている。特にホワイトカラーよりも非ホワイトカラーの方が、より人手不足になるということが示されている。ホワイトカラーは生産性の高い上位層と置いていかれる下位層に別れ、非ホワイトカラーへのリスクリングによる労働移動が起こるといったことも書かれている。

資料にない部分を補うと、生成AIなどの登場により、スキルの低いホワイトカラーの仕事はどんどん代替されていく一方で、身体的なものである非ホワイトカラーの方はそうはいかないということだと理解している。実際に、ChatGPTなどを私生活や業務で触っている中で感じるところとしては、ジュニアの仕事はマジでいらなくなるな、と思っている。

調査やデータの集計加工などは、生成AIの方が圧倒的に早く、出てきたアウトプットを自分で手直しした方が効率が良い。人間の遅い作業を待って、その結果を吟味して手助けをしたり指示をしたり…といったようなことは、過去の世界の極めてのんびりした時間軸でのお話になっており、数秒で生成される結果に対してフィードバックを行ってアウトプットの質を高めていくということの方が圧倒的に早い。

スライドの中で、ホワイトカラー職種の上位層の生産性が上がることが表現されているが、これも非常に頷けるところである。これから必要になるのは、作業するスキルではなく、アウトプットの結果を吟味して判断をし、改善の指示を出せるようなスキルである。

これから社会人になる人たちの仕事も奪われる

こうした状況の中で大変だなと思うのは、これから社会人になる人たちである。

私が新人だった時代は、当然に生成AIなどはなく、上記のようなジュニアがやっていた仕事というのは大量にあった。そうした仕事の量をこなしていくうちに、どういったものがアウトプットの品質につながっていくのかといったことを理解していく。また、先輩や上司もそれに対して指導に付き合ってくれて、こうした下積みの中で自分のスキルを磨いていく機会を得られた。

だが、これからは違う。そうした下積み時代にやるべき仕事というのは、生成AIがやってしまう。割とこの問題は、自分のTLでもたまに見かけるものであり、どうやってそうした環境で新人を育てていくかというものである。通常業務の中では、すでに育成は難しく、新人の育成のためだけに訓練用のバーチャルな業務やカリキュラムを用意する、といったアイデアも見られた。

しかし、全ての企業がそうした機会を新人の労働者に与えるわけではないだろう。生成AIに指示を出す人員を中途採用で賄えるならば、大量に新人を雇う必要もない。もしくは、これまでよりも採用を絞って、少数のAIに対する指示者を育てればよい。生成AIが仕事を奪うと言われて久しいが、それは現役世代に限ったことではない。すでに生成AIは、未来の労働者たちの仕事も奪い始めている。若い人たちのまだ見ぬ未来の自分の「仕事」の可能性というものが刈り込まれているのである。もちろん、その一方で、私の世代では選び得なかった新しい職種の可能性も広がっているとは思うのだが。

投資家はますます有利になる

もう一つ思うことは、これって投資家がますます有利になるよね、ということである。

労働生産性が上がるということは、投入するコストに対して生まれる付加価値が大きくなるということである。これまで100人を雇っていたところを10人に減らせるというようなことなので、生成AIの環境構築のコストなどはかかるとしても、これまでよりも多くの利益を生み出すことができる。なんなら、労働分配率を上げて、生成AIを使いこなせる高スキルの労働者への給与を増やしたとしてもお釣りが来る。

日本は、判例法の積み重ねによる解雇の難しさがあるので、すぐにこのような体勢に移行できるわけではないと思う。一方で、本会議資料でも見られるように、徐々に外堀は埋められていくだろうから、トレンドとしてはそっちに行くと思う。そうなると、私のようなホワイトカラー職種にとっての選択肢は、①生成AIを使って高い生産性を生み出す高スキルのホワイトカラーになるか、②非ホワイトカラーになるか、③投資家になるかの3つぐらいになる。

幸運その1:ジュニアな仕事が残っている時代のデジタルネイティブである

こうした状況下で、私が幸運だと感じる点が2つある。1つは、デジタルに親しみつつも、ジュニアがやる仕事がまだ残っている時代に生まれたこと。

これからの時代の人たちは、先ほど言った通り、生成AIが一部の仕事を代替してしまっている。その一方で、私よりももう少し上の世代は、多感な時期にデジタルに触れ合う機会が少なく、これだけ生成AIが世間で騒がれていても、まだ一度も触ったことがない、みたいな人もゴロゴロいる。私は、ちょうどこの間の世代にあたり、デジタルに対する興味関心や親しみを持ちつつも、ジュニア層の仕事に慣れてスキルを身につける機会に恵まれた。私が①の選択肢を選ぶか(選べるか)どうかは分からないが、打席に立つチャンス自体はあるのではないかと感じている。これは、単なる生まれた時代の話なので、運がいいとしか言いようがない。

幸運その2:投資環境や相場が良好な時代と、入金力のある時代が重なった

また、入金力がある20代から30代の時期に、様々な意味で投資環境が整った時代を生きられたのも幸運だと感じている。

私が社会人になりたての頃は、まだインデックス投資などは一般的ではなく、書店に並ぶ本や周りの話を聞いていても、株式投資は博打である、というような論調が強かったと記憶している。日本株にしても、バブル崩壊後の最後のダメ押しの下落の底に突き落とされていた時代であり、この状況下で株をやる人間は、正気ではないぐらいの雰囲気だったと思う。

 

それが、アベノミクス相場が始まってから雰囲気が変わり、この10年間は株は右肩上がりで上がるものだという認識が広がった。また、手軽に米国株・インデックスに投資する手段が広がり、投資をするハードルが一気に下がった感がある。

また、SNSやYouTubeなどの発達により、こうしたものに投資をする機会が存在するというきっかけというか、接触の機会も大幅に増えたと思う。いくら環境が整っても、その存在を知ることがなければ、始めることができない。今はその傾向が加速しすぎたことによって、こんなにパッシブ運用が増えちゃってええんか、みたいな議論もあるわけだが。

 

そして、入金力があるうちに、長期的な上昇トレンドと複数回の大きな下落と上昇を経験できたのも大きい。私の場合は、コロナショック&バブルと、2022年の下落&その後のAIブームが資産の額を押し上げた。これも、この時代に生きたからその恩恵にあずかれたとしか言いようがない。もっと言えば、その前から投資はしていたものの、パフォーマンスはさっぱりだった。その時代に、このままでは良くないので、どうしたらいいかという考える機会を得て、その後の大きな下落時にどう動くかという準備をするための期間とできたのも大きいと思う。それも含めての幸運である。

 

これとは、全然別のベクトルで不運な話もあって、自律神経がぶっ壊れてたりもしてたんだけど、捨てる神あれば拾う神ありということで、良いこともたくさんあったんだと思えている。

 

昔読んだ本の中で、運に関するものがあって、次のようなフレーズを気に入っている。

正しいだけでは足りない。運も必要だ。(中略)

答えは一つしかない。「運」だ。運をつかむには、適切なときに適切な場所にいること、そして、誰かを知っている人を知っていることが必要なのだ。 「正しい」だけでは十分ではない。

運は人間の理性に対する究極の侮辱である。無視することはできず、備えておくこともできない。細心の注意を払って練り上げた計画でも、ひとたび不運に見舞われたら頓挫してしまう。その一方で、杜撰で無謀な試みが運よく成功したりする。いつだって運は正しく生きようとしている人たちを打ちのめそうと、悪党やろくでなしに裕福で幸せな人生を与えようとする。

 

運・偶然性(ランダムネス)は人生に対する決定論的な見方への(良くも悪くも)アンチテーゼである。私は偶然性があるからこそ、面白いと思っている。

 

 

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