資産形成の灯台

投資・投機との関わり方に関する思索を垂れ流すブログ。

神社で列に並んでお参りをする人は投資に向かない?

エビデンスは置いてきた。これからの戦いについてこれそうにないから()

 

 

初詣で並ぶ派?並ばない派?

我が家では小さい頃から行列に並んだことがほとんどない。特に絶対にやらないのは、初詣お参りの列に並ぶこと。大きな有名な神社だと初詣にはめちゃくちゃ人が並んでいる。ひどいところだと駅を出てから参道、本殿まで列ができていたりする。並んだことがないのでわからないが、お参りをするまでに下手すると数時間かかるのではないか。

 

そういう時、我が家では、お賽銭箱の脇からお参りをする(横入りじゃないよ?)。たくさんの人が行儀よく並んでいる横から、さっとお祈りをしてさっさと帰ってしまう。神社によってはお急ぎの人は脇からどうぞとか、混雑するので脇からお祈りをどうぞとか書いてあったりする。それでも私たちのように脇からお祈りをする人は少数派のように見える。

並ぶ派は、投資に向かない?

ここからいきなり話が飛躍するのだが、お行儀よく列に並ぶ人たちよりも、脇からお祈りをする人の方が投資に向いているように思っている。

 

まず列に並ぶ人たちなのだが、伝統や規範、周囲との協調性を大切にする人なのだと思っている。また因果応報的な世界観も持っているのではないか。

 

我慢強さや従順さというのは昔から美徳である。何時間も根気よく列に並ぶというのはそれだけでこの美徳に照らして価値がある…と、評されるのではないか。このような行動はムラ社会である日本において周囲からも期待される。そうした期待に応えることが自らの利益にもつながるということを、これまでの家庭生活や学校生活、社会人生活などから経験的にも理解しているように思う。

 

そのように根気強く並んでいる自分には神様からご褒美がある…ご利益があるという因果応報的と言うか、公正世界仮説的な価値観があるのではないか。そこまで言えずとも、少なくとも「脇からお参りをするなどというのはバチ当たりである」「そのような楽をした人間にご利益があるはずがない」「何時間も並んだ自分が報われないで、あいつらが報われるのはおかしいはずだ」くらいの感覚はちょろっとあったりするんじゃないか。

 

また周囲からの評価や視線に敏感であるように思う。先ほど周囲との協調性を大切にすると書いたが、裏を返せばそうした視線を非常に気にするということだ。

脇からお祈りをする人たちに対して違和感を感じる一方で、逆に自分たちがそのようなことをするというのは考えられない。周りから奇異な目で見られるかもしれないからだ。みんなと違うことをして変な目で見られるくらいであれば、正当な方法で根気よく事に当たる方を選ぶ。物事の判断基準において、周りからどう見られるかというのが非常に優先度が高いのではないか。

マーケットでは「空気を読まない」「人と違う行動をする」方が勝てる

これに対してマーケットはどのようなところかというと、変化の激しい、対人戦が行われている場所である。

対人戦において重要なことは、相手の意図を読むこと・弱点に付け込むこと、群衆心理に流されないこと、感情ではなく理性で判断をすることなどである。こういった特徴は、先ほどの列に並ぶ人たちの特性とすこぶる相性が悪い。

 

どれだけ周りに合わせられるかということは、投資の成果とは、とてもとても関係がない。マーケットの短期的な変動は様々な人たちの意図が絡み合ったノイズであり、多くの場合はそこに意味がない。それに対していちいち何かしらの「他人の意図」を読み取り、反応していたのでは、とてもではないがポジションを維持できない。

 

先ほどは相手の意図を読むことが対人戦において重要と書いたが、これはシグナルとノイズを見分けられるかということだと思っている。

もしもレジームが変わったのであれば、自分の行動も変えなければならない。環境が変わったかどうかを判断するという行為自体が一緒の賭けであり、そのストレスに耐えなければならない。

 

そして、必ずしも努力や掛けた時間が報われるとは限らない。もちろん長期投資が報われないと言っているわけではない。そうではなくて、「〇〇をしたのだから、必ず私は報われるはずだ」という思考形態とめちゃくちゃ相性が悪いということだ。

このへんは、前にも書いた。

 

www.lighthouse4you.com

 

人間としての性(さが)に逆らえるかどうか

この話をもう少し敷衍すると、伝統や倫理・規範などから離れるような行動特性を、どの程度身につけているかということだと思っている。人間は本質的に社会的な生物であり、集団の中で生きることで進化をしてきた。集団生活においては規範が重要であり、それを遵守することは自分に対しても利益をもたらすものだった。

これに対してマーケット…特に株式市場のようなものは人類の歴史からして非常に新しいものであり、人間の協調性を重視する特性に合っていないものだと思っている。だからこそ、人間としての本能的な部分や、文化・社会的に培われてきた部分に逆らえるような性格特性を獲得してきた人間には、マーケットは合っているのではないかと思う。

まあ、こうした人間が社会の方に適応できているのかと、甚だ疑問なんだが…(鏡を見ながら)

 

そんなわけで、改めて読んでみると「ろくでもなさすぎワロタ」なエッセイでございました。これでまた独身異常サイコパス男性が投資の世界で自然淘汰を招かれている説が証明されてしまった…

 

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