皆さん、職場の方と投資の話ってされますか?
私の職場は金融機関だから何なのか分かりませんが、
そこそこ投資にも理解のある方が多いです。
ただ全ての人がそうであるというわけでもありません。
今日は、
自分が投資をしていることについて周りから否定的なことを言われたときに、
どう対応したらいいか
ということについて、書いてみたいと思います。
なんともあべこべな話ですが、株式投資をしていると
こうした株式投資以外の処世術も必要になるということのようです。
世の中には倹約・投資を目の敵にする人がいる
この記事を書こうと思ったきっかけは、
退職金ぶちこみ太郎さんの記事を読んだことです。
要点としては、
「職場の方から株式投資をしてることについてお説教された」
という内容です。
一部、引用させていただくと、
「みんな自粛して頑張ってるんだぞ。こんなご時世、株で儲けてはいけない」
ということを言われたそうです。
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私自身はここまで、ストレートに投資について否定されたことはありません。
しかし、似たような話で私の倹約に対する姿勢をあーだこーだ言われたことはあります。私は倹約が大好きで、基本的に収入の50%以上は貯蓄・投資に回しています。
その時は曰く、
「若いんだからもっと車買うとか金を使え」
とのことでした。
昔からこうした手合いはいた
こうしたお金に関するあれやこれは今も昔も変わらないようです
日本の伝説的な投資家、本多静六は著書『私の財産告白』で次のように書いています。
金というものは重宝なものだ。まず、一応誰しもあればあるに越したことはない。
ところが、世の中には往々間違った考えにとらわれて、この人生に最も大切な金を頭から否定してかかる手合いがある。(中略)
これはことに、日本人の間に昔からあった悪い癖で、いわゆる武士は食わねど高楊枝といった封建思想の余弊である。
しかもそれらの連中は、全く金をほしがらぬかと言えばさにあらず、金に対しては一層敏感とも言うべきで敏感なればこそ、人の懐具合まで気になるわけなのである。
本書が書かれたのは、昭和20年代です。
これを読む限り、倹約や投資に対するアレルギーは昔からあったようです。
では実際にこうした場面に出会った時に、
どのような対応すれば良いのでしょうか。
どう対応したらいいか?
相手をしない
こうした時の私の反応は決まっていまして、
「とにかくこれ以上関わらない」
この一言に尽きます。
大抵は、「さあどうでしょうね」の一言で終わりです。
と言いますのも、
- 人の考えを変えることは簡単ではないし、
- 変えたところで自分にメリットはないし、
- 自分の貴重な精神と時間は有限である、
ということです。
そのために使った労力で、
もっと大切な人たちのために何か役に立つことをしてあげた方が、
よほど建設的でしょう。
こうした議論を吹っかけてくる方々は、
大体既に自分の中で結論が決まっているものです。
そのため、こちらが何を言おうが耳には届かず、
建設的な議論というものが難しいのです。
同じ人間だから分かり合えるという言葉もありますが、
私は人間であるという共通点は、相互理解を築く上で相当に弱い根拠だと思います。
生物学的には同じヒト科ヒト属ヒトでありますが、
ものの考え方は金星人と火星人ぐらい違う、ということはよくあります。
(どちらが”良い悪い”ではなく、単に”違う”ということです)
なまじっか、見た目は同じ人間なために、
そこを勘違いしてしまうことはよくあることではないでしょうか。
ハブとマングースを同じ檻に入れて、
「まあ仲良くしてくれや」という方に無理があるのです。
もう1つ、この手の議論に乗ってはいけない理由は、
「そもそもの問いの立て方が適切とは限らない」
ということです。
退職金ぶちこみ太郎さんの場合は、
「なぜコロナで苦しんでる人々がいる中で、株式投資でお金を儲けてはいけないのか」
という問いです。
こうした時にマトモに答えを探し始めるのではなく、
- そもそもこの問いを考えることは何か自分にメリットがあるのだろうか
- 必死に考えたところで時間の無駄にならないだろうか
こうしたことを考えても良いと思います。
今回の場合ですと、
- どんな結論になろうと私が資産形成を止めることない
- 現環境下における株式投資が、直接的に他者を傷つける可能性は極めて低い
くらいの内容を直感的に考え付けば、これ以上これについて考える必要はありません。
どうしても相手をしなければいけないときは、、
…そうは言っても、例えば相手が上司だった場合など、
なかなか邪険な反応ができないこともあると思います。
そうした際は、
「手前のようなこっぱ投資家は年がら年中、素寒貧ってなもんでございまして、、ヘヘッ🤤」
とかなんとか、適当におべっかを使ってやり過ごすか、
「投資はしてないです(投資をしていないとは言っていない)」
と、嘘をつくといいと思います。
当方、誰かを傷つけない限り、
処世術としての嘘は問題ないとのスタンスでございます。
むしろこれは相手を尊重することにも繋がります。
どうあがいたところで、相互理解を得るのは難しいのですから、
初めから適切な距離を置いといた方が結果的に相手を尊重することになるのです。
何もコロナ流行時だけでなく、
普段から適切な「社会的距離間」というやつは、
必要なものなのです。
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あと、あんまりしつこいようでしたら、
共通の上司に相談して止めさせるといいでしょう。
業務外のことで業務を妨害されているのですから、
遠慮する必要はありません。
もしくは、味方になってくれそうな同僚等に立ち会ってもらって、
「やめてほしい」とリクエストするのも一手です。
ポイントは、あくまで「どうしてほしいか」というリクエストに絞って話すことです。
間違っても、相手の考えを正そうなどとは思わない方が賢明です。
それは、あなたの大切な時間を注ぐべきことではありません。
大体において、この手合いは信念でモノを言っていることは稀で、
言いやすい相手に言いやすいことを言っているに過ぎません。
第三者が絡むとなると、手を引くことが大半です。
自分の大切な人のために時間を投資しよう
というわけで、私がこれまで喧嘩をふっかけられた時の対応でした。
今日の話は、何も投資に限ったことではありません。
「全ての人にわかってもらおう」「仲良くしよう」と思う必要は全く無く、本当に大切な人のために自分の力を使う。
こうしたことが、自分にとっても周りにとっても良いことだと思います。
私自身も投資家の端くれとして、自分のエネルギーを投資する先は、
慎重に選んでいきたいと思っております。
本多静六も、
「世間のうるさ声には耳を傾けず、初志貫徹、邁進すべきだ」
と言っています。
なかなか言うは安しで難しい面もありますが、
今後もできる限り、自分の信念を貫いていきたいと思います。
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