日本人は演繹主義的な気がする。
私は海外での生活経験がないので、完全に自分の観測範囲内だけでの主観的な感想だが。
「形から入る」「型を学ぶ」言った言葉にも表れている気がする。
適切かどうかわからんが、武士道の「道」なんていう言葉もそれを表しているのではないか。
で、投資・トレードにおいてもファンダメンタルズとかテクニカルとかの教科書的なものを好む。
これと関連した事象として、「先生」「師匠」「学校」「大学」といったキーワードにも弱い気がする。
もう書店の本棚中、これらのキーワードだらけや。
投資に対しても、「勉強する」というのはよく目にするが、「研究する」とか、「検証する」というのは目にする頻度がより少ないように感じる。
(botter界隈の方々は専ら「検証」だが、、)
ニュアンス的に、「勉強」というのは既知の事象を学ぶ、という意味合いが強いと感じる。
逆に「研究」「検証」は、未知の事象を自分で確かめる、といった意味合いだろうか。
もう少し言葉を変えると、「すでに確立されている物を好む」ということか。
「ルール好き」とも入っていいかもしれない。
以前どこかで、中国人の方はどちらかというと経験主義的だというような意見も見かけた。
簡単に言うと、まずやってみてうまく行くかどうかを試していくといった態度だ。
演繹主義的な態度とは正反対である。
当然これはどっちがいいという話ではない。
演繹主義的な態度には暗黙の前提条件として、「従えば成功する安定的な法則が存在する」という考え方がある気がする。
システムトレードも確かにある種の法則性を優位性として利用するわけだが、どうも程度の差というものがある気がする。
システムトレードでは、この法則というのをある種の確率的な事象としてとらえている。
なので、成功するかもしれないし成功しないかもしれないという前提でエントリーや EXIT の条件を組む。
また、法則自体が優位性を失うことも想定してシステム自体の組み直しだって行う。
私がそれとは別物として感じているのは、「こうすればうまくいく」というような、より普遍的で安定した方法論…ベストプラクティスのようなものを前提としているものだ。
一方で、私はマーケットをそういった決められたもの・定まっているもの・安定したものとは正反対の場所だと思っている。
昨日まで通用していたものが今日は通用しなくなる。
変化に対する適応力が求められる。
そのようなものだと認識している。
常に後追いで確立されたもの…昨日は通用していたものを追い求める姿勢は機能するのだろうか。
こう考えると、演繹主義的な態度とマーケットは非常に親和性がよろしくないと思うんだが、むしろそのこと自体がより安定したものを求める態度に拍車をかけている面もある気がする。
例えば、
- ある方法論でうまくいかないと別のより優れた方法論を求める
- もしくは自分がその信じていた方法論に従えなかったと解釈することで方法論自体を正当化する
…といったことが起こるのではないか。
トレードの失敗自体が方法論への依存を強化するというフィードバックループが起きているわけだ。
新しいものを試すという態度自体は重要なんだが、知識や経験の蓄積なく、とっかえひっかえを繰り返すのはよろしくない。
だからこそ、「ヒントにする」「自分の研究の参考にする」、場合によっては「参考にした上で無視する」という姿勢が重要になると思う。
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